結婚相談所で結婚した人のブログ

20代半ばで縁のない環境に見切りをつけて結婚相談所に入会→のち1年後に成婚退会したら今度は母が結婚相談所に入会。結婚までのアレコレを綴ります。

恋愛工学の本を焚書したい理由

本記事は 女性経験がない男性を忌避するところに恋愛工学が生まれる の続きみたいなものです。
私が焚書して発禁にしたい本NO.1である恋愛工学の本で前回指摘していなかった問題点をもう1つ思いついてしまったので書こうと思います。

けなしたあと褒めること
それは「貶す(貶したあと褒める)」というやり方です。件の本では「美人は褒められ慣れているので、容姿をけなされるとその男性を気にしてしまう」というような書き方をしていたと思いますが、このやり方で相手を気になってしまう女性は自己肯定感がない人に限定されます。なぜか。

自己肯定感のある女性の場合、初対面の男性に貶されたとしても「うわなにこのモラハラ男」と思って終わりです。もしくは「それわざわざ言わなくてもよくない?」心理的もしくは物理的に一定距離を取らないとヤバいやつ判定が下りたという意味で気にするかもしれませんが、この場合「あの男性が気になる」というときの"気になる"とはほぼ真逆の意味でしょう。
一定以上の容姿の人が「美人だね」「かわいいね」という単純な外見への褒め言葉に慣れているというのは誰しも想像がつきますし、その言葉だけで落とそうとするのは確かに難しいかもしれません。かといって外見容姿がいまいちな女性にこの言葉をかけて落ちるんですか?。外見ではなく脳みそのレベルによるのではないでしょうか。そういう意味ではまだ「バカな女性を狙え」のほうが(許されはしませんが)ギリギリ理解はできます。

じゃあ、自己肯定感のない女性が貶された後で褒められるとどうしてその相手を気になってしまうか、というと、そういう女性は常に評価を求め続けているからです。
自分がどれくらいなのかわからない。いい自分でない自分は『ダメ』。人にあの人はよくないと思われるのが怖い。自信がないから「すごいね」と言われたくて手当たり次第にそう言われた経験をリピートする。とにかく人の判断に左右される。誰かにダメ出しされることで自分がダメなことすら肯定してほしい。今の自分はマイナスで、もっとプラスにしていかないといけないけど(プラスでない自分を肯定できないため)、自分の決定・判断が信用できないので、自分をプラスにしていく方法は誰かに決めてほしい。コーチ・先生・偉い人・頭のいい人・権威者の言うことを聞きたい。だめな私を指導してくれる人についていきたい。
そもそも対人間に対する評価なんて明確な点数基準があるわけではないから見る人間によって評価変わるし、それ全部片端からプラスにしようなんて永遠に達成不可能では、と私は思いますが、自己肯定感に著しく欠けている女性の場合だいたいこんなかんじと思われます。

この状態で、たとえば外見にコンプレックスがある自己肯定感の低い女性が「○○ちゃん、横顔ブサイクだよな~w」なんて言われると、
確かに私、横顔に自信ない…(※もともと全部に自信がない)
横顔ブサイクに見られてるの…?もしかしてみんな言わないだけでそう思ってた?(※人の評価軸しかないので主観的評価に対して不安定)
と急激に落ち込みます。ここで急に「でも、愛嬌はあるよな!」とアメをやられると、もともとプラス評価に飢えていますから、ドーッと気分が上がり、安心感を得ます。いや不安を煽ってたのそいつだぞ落ち着け。こういうのはアメとムチとは言いません。マッチポンプです。しかし自己肯定感の低い状態だと「この人は私のマイナス点に気づいてくれている…だからこの人のいうプラスは本当なんだ!この人の言うようにすれば私もっとプラスになれる!」と思いがちです。もっともらしい判断をしてくれそうな人間が魅力的に映る。
よって、この方法で落とせるのは自己肯定感の低い女性のみです。恋愛に限らず、モラハラ系のブラック企業とその被害者である社員、というようなケースもこの関係にあると思います。

そもそも論ではあるが
恋愛工学を信じハマってしまう男性である時点で自己肯定感が低い男性なのだから、お似合いでは?という感じもしますが、女性へのあこがれを抱えつつもモテない人生を送ってきた男性に対して「あなたもモテモテに!」と本能的においしい夢を見せてこんな方法論を提示するなど、発展途上国への食料支援物資に毒を混ぜるようなもんです。書籍の印税とサロン収益を全額赤十字に寄付したとてプラマイゼロにはならない行いですよ。こんな方法で複数人と男女の関係になったらその先の人間関係が泥沼化するのは簡単に想像できると思うんですけど。当の藤沢数希氏は恋愛工学で世の男女を幸せにしていると吹聴しており、いっぱしのインチキ思想商売師として商売をなさっている様子。

あと私は男性ではないので想像に限界があるのですが、このやり方で一時的に自己肯定を得た人間が機能的に不全になった場合どうなってしまうのか気になっています。どのみちインチキ思想商売師は顧客が将来的にどんな形で不幸になろうと気にしないでしょうけども。

恋愛が人間同士の関係であることには変わりないわけで、そう考えたときに恋愛工学の「恋愛はただの確率のゲームである」に代表されるような機械的な思想に疑問を感じます。友人関係の構築に「確率のゲーム」と言っていたら不思議に思いませんか?
というかただの藤沢氏の個人的な女性へのコンプレックスだろこれ。

 

追記:
「女子はやはりヤリチン大好きだとはあちゅうを見て思いました」
氏のブログで恋愛工学に適用できないからか非モテ男子好き女子が存在しないことになっていました。そもそもダイバーシティの時代に主語がでかい。こういう旧時代の人間は近く絶滅すると思います。