結婚相談所で結婚した人のブログ

20代半ばで縁のない環境に見切りをつけて結婚相談所に入会→のち1年後に成婚退会したら今度は母が結婚相談所に入会。結婚までのアレコレを綴ります。

婚活実録編42:結婚相談所での決めの問題について

ついに相手の相談所が祈祷をやめて「はやくどうするか決めて下さい。もう伸ばすの無理ですからね」と言ってくれたようです。おっっっっせぇーーーー!!!それだけ入念に祈祷していただいたらなんとかなりそうな気しかしないね!(投げやり)。
というわけで結婚相談所での成婚退会、決めの問題についてちょっと書きたいと思います。

 

お見合いを進めていると、恋愛結婚のように爆発的決定力を互いに持たないケースが多く、「結婚」というデカい人生の選択ボタンに押し悩む人は男女を問わず多いと思います。とくに結婚相談所は会費の支払いと気力が続くかぎりは婚活ガチャを継続できるので、「この人でいいのか」「もっといい人がいるのでは」と迷いやすいものです。

結婚は、この人であればノートラブルでハッピー、この人であればトラブル続きで不幸、というわけではありません。そういう傾向があったとしてもたいてい結婚前にはわかりません(わからないからこそ結婚しているわけです)。
そもそも幸せな結婚生活というのは主観的で一瞬を切り取ったものでしかないわけです。有名な話ですが、ある男性が事故に遭いました。この事故は幸運ですか?不幸ですか?といえば大体の方が不幸だと回答するけれども、話に続きを加えて「ある男性が事故に遭いました。入院中に看護してくれた看護師がとってもタイプで付き合いはじめました」になると事故が不幸ともいい切れなくなるという、まさにそれで、私達が「これは幸せだ」とか「不幸だ」と判断しているのは全部今の時点から判断したことで、この判断地点が未来にいくことで判断結果は変わっていく可能性があります。婚姻届を出して役場の人がそれを受理した後、水にさらすと「失敗」とか「成功」とか浮かび上がってくるわけではありません。むしろそちらのほうが楽だったかもしれませんが、結婚に限らずすべては自分の今の判断で決まっています。今後『成功/失敗』『幸/不幸』は、いくらでも変わるし、変えていける能力を私達は持っていることになります。
加えてヒトは、基本的には常に学んで成長していくのを前提としているわけですから、年齢を重ねる、夫婦生活が長くなるごとに、お互い成長していくと考えてよいのではないでしょうか。人によっては加齢により頑固になったり、もっと年をとると認知症になったりというのが出てきますが、夫婦関係が人生の大きな主軸となる壮年期~中年前期においてまずそういうことはないでしょう。
ヒトは相手によって態度や行動を変えることがあります。相手によってはすごく親切だったり、親切でなかったりするということです。であるなら、人間関係に出てくる問題の半分程度は、もしかすると自分自身に要因があるのかもしれないと仮定してもおかしくはないわけです。(※これは全部が全部本人の努力不足によるものだという考えとは異なります。要因は生まれ持った変えられない資質によるものかもしれません)
そうなると、いまの交際相手はどうもピンと来ないとか、もうちょっといい人がいるのでは、という気持ちに対しても、対処として人を変えるのは非効率なケースの方が多いのではないかと思っています。しかし結婚相談所では一応リストが尽きるまでは無限おかわりが可能ですし、自分に対して要因があると考えるのはなかなか受け入れがたいこともありますので「とりあえず相手を変えよう」となりやすいかとは思います。
ただおそらく結婚相談所を成婚退会するとき全員が全員迷いなく決めているかというとそうではなく、「えー、この人なのかな、えー、そうかな、自分ならもうちょっといい人がいるのでは…」とか、どこか疑いつつも「まあ……この人かな?」と結論づけてこわごわ判子を押している人もいるでしょう、むしろほとんどの人がそうかもしれません。
「この人に決めます!」という前向きな気持ちでなかったとしても、「もう他の人と新しくお見合いを組む気力がない」とか「他の人と全然お見合いが組めない」とか「他の人と交際が続かない」みたいなことがあれば、それを今交際している人と成婚退会(結婚)する理由にしてよいと思います。あまり大っぴらに言える理由ではない、後ろめたい、ピンときたというような確信めいたものがないと怖いとかはわかりますが、それはそれでいいのではないでしょうか。恋は結婚の理由をきれいでわかりやすくする天才ですが、そもそも結婚相談所は前提に恋が無いのだから、無装飾で味気ない理由でも当たり前といえば当たり前です。

 

結婚の生物的な目的は安定した繁殖ですが、そういう原始的な役割を別にして、現代的な、大脳新皮質的な結婚の役割とは何なのかを考えると、文化の交流にあると思います。ひとりでいれば興味のなかった分野、理解のなかった世界、同じものでも違う見方・考え方など、違う文化を得ることができます。もちろん交友関係を広げることでもこれらは獲得できますが、結婚相手の方がより影響力が強いでしょう。二人で同じ本を読んでいたら二人で得られる知識は1ですが、別の本を読んで内容をシェアすれば知識は2になります。普段の興味範囲や情報収集の場所が被っていなければ、お互い情報を補完できます。もちろん被っていればそれはそれで知識が深まることもあろうかと思いますが、そういった興味範囲や知識のカブりがある人物は友人関係や職場関係ですでに多いでしょうから、そう重複させなくてもよいのかなと思うところです。知識に限ったことではなく、感情の表現方法や課題の解決方法(この2つは異性間の考え方の違いも大きい)、娯楽などは、結婚相手が新しい世界のドアを担う可能性があると思います。
結局はこういった文化がすべて自分と同じ人というのはいません。もし、自分の文化を伝えたり、相手の文化を知ったりすることに前向きな興味が持てないか、苦痛だ、という人は、人生に結婚という過程はないほうがいいでしょう。しんどいだけです。
結婚が人生の墓場と表現されるのは、そうした文化の受け入れや発信にどこかで失敗したり、極めて困難な事案にぶつかったりして、もはやお手上げとなってしまった人たちがいるからです。詰みゲー化してしまったということになります。
そう考えると、詰みゲー状態をなるべく回避するには、
・相手の文化に寛容になり、どうしても受け入れられないものには互いの落ちどころを探す
・自分の文化をうまく発信する
ということを、お互いに挫折せずやっていける人を選ぶことがキーになりそうです。
問題は、これらが一朝一夕に上手になったりうまく行ったりするわけではなく、ある程度の経験と練習が必要なことです。そしてとりわけ、異性経験がないとか、コミュニケーション力の問題で結婚相談所という手段を選んだ人は、このあたりがレベル40くらい必要なところ5あたりで止まっているみたいな方もしばしば見受けられますので(※ブーメラン)、結婚生活という異文化交流に七転び八起きを覚悟していく、というより、この先700転び701起きくらいするはずだからとくに1コケくらいで気にすることはないくらいの気持ちで挑んでいくのが良いと思います。同様に、結婚を検討している相手と文化が違うことについても、必要以上に悩まなくても良いと思います。

 

まとめると、結婚生活には常に『諦めないこと』が必要なんじゃないかと思っています(当然すぎて身も蓋もない。これをネガティブに言うと『忍耐』になります)。相手を変えたら万事うまくいくんじゃないかというのは考えがちですが自分自身が変わらない限りは概ね幻想です。生活習慣や趣味などの文化に違いがあってもあまり気にせず、躓いても諦めずにやっていく、というのが大事だと思うので、

頻繁にデートできていて、モラル的に問題ない相手なら、この人と結婚していいのかなーとか他にいい人がーとか迷っててもあんま意味ないんじゃないかなー!?

と思っています。