婚活に王道はないと思う。本質はコミュニケーションだから
婚活が終わったので哲学エントリばっかり書いています。
婚活中に、いろいろな文献やブログで、どうしても引っかかっていたことが一つあります。
これです。書いたのは私じゃないけど、まさにこれです。名付けて「愛されろ指導」。どの本見ても結構似たように愛されろ~愛されろ~と書いてます。愛されることこそ女性のしあわせ。女性を愛し尽くすことこそ男性のしあわせ。デヴィ夫人のご本『選ばれる女におなりなさい』などはまさにダイレクトなタイトルですね。時代錯誤や~ん!と思いましたが。
愛されることが本当に女性としての価値なんでしょうか。もしそうなら、女性の価値は男性に愛されることだけで決定されてしまうんですか?男性から考えてそうだとしても、それは完全に外部からの主観的評価ですよね?自分自身の評価はどこに行っちゃったの?愛されることって、自分自身の価値さえも決めてしまうほど重要ですか?。
確かに、愛されること(というより、本人の「愛されているという実感」だと思う)は、外部からの評価に依存する人にとってはめちゃくちゃ死活問題なのかもしれないです。
それにしてもそんなに大げさにする必要があるのか。ともだちや親やネコ*から愛されろ愛されろと、そこまでことさらに強調されていたことなんかないのに、どうして、男女になっただけでそんなに「愛される」ことを強調しないといけないんでしょうか。しかもなぜか受け身。愛するは?愛するはどこに行ったの?愛されると愛するを同じように重視しなくてなぜ良いんですか??その比重の根拠は一体なに???
*ネコは家族。対ネコは愛するのほうが強調されている気がする
異性として意識したが最後、相手と自分の性的魅力と社会的地位だけを価値の尺度にするする必要はない。また友達関係で性的魅力を封印する必要もない。男女を対戦相手とみなして虜にした方が勝ちみたいな考え方では友達になれない。友達になれない相手と家族になるのは大変だ。
CLASSYが怖い - はてこはときどき外に出る
私が恋愛工学に疑問をもっているのも、つまるところこれと同じことで、恋愛だけを人間関係のカテゴリから切り離して分類するというのがよくわからない、といえます。
そしてなぜわざわざ切り離して分類しているかというと、これに尽きると思います。
CLASSYが怖い - はてこはときどき外に出る
- [人生]
- [考え方]
消費意欲をそそるため、という気もします。婚活中はこの手の「攻略法」に影響されたけど、実際に結婚・充実した結婚生活に必要なのは「相手と誠実に向き合い、人間関係を築く」だけ。でもそれじゃ物が売れない、多分
2019/04/24 10:18
婚活ももちろんですが、結納や結婚式も、結婚に至るまでの色々なものが、ちょっと過剰なマーケティングで出来すぎていないか?と最近思っています。多分、本質はもっとシンプルです。
婚活中、多くの人はそう言ってくれませんでしたが、婚活の本を何冊読もうと、筆者はあなたの幸せなんか知りません。あなたの幸せな生活について指南する本は本来どこにもありません。あなたの幸せを知っているのはあなたしかいないからです。
無理をして相手を探せば、その先待っているのは無理をする結婚生活です。