結婚相談所で結婚した人のブログ

20代半ばで縁のない環境に見切りをつけて結婚相談所に入会→のち1年後に成婚退会したら今度は母が結婚相談所に入会。結婚までのアレコレを綴ります。

上昇婚狙いの女性が多い(ように見える)のは女性個人のせいじゃない

すももさんの記事について、結婚してみてなんとなくわかってきた部分があったことで気づいた違和感というか、「もにょもにょした感じはこれか」という気づきがあったので、書いておこうと思います。

 

妻の職業を聞かれる回数<<夫の職業を聞かれる回数

聞いてくる人の性別・年代を問わず、夫婦二人でいる場合に妻側の職業を聞かれるケースというのはほぼありませんが、夫側の職業を聞かれるケースというのは思ったより多発します。
夫婦2人で(黙って)並んでいた場合に決定権を持っていると思われるのも夫側です。そして住宅ローンや車のローンなど大きな買い物をする場合も、基準として聞かれるのはたいてい夫の収入・年齢です。
どういうことかというと、女性は結婚すると社会的には男性(夫)の付属品的な扱いになってしまうということです。女性は独身時の社会的ステイタスを維持するためには、最低限自分と同じ、もしくはより良い社会的ステイタスの男性と結婚する必要があるといえます。

トロフィーワイフ/トロフィーハズバンド的思考はある人にはあるし、そこまで批判できるものでもない

医者と結婚したいとか社長と結婚したい、ミスなんとかやモデルの女性と結婚したいというような「それパートナーとブランドバッグの区別ついとるんか?」的な考え方も、ある人にはあります。
自分に関係する人・物体の肩書を活用して他人によく思われたいというのは、自らに何らかのコンプレックスを抱えている場合にしばしばある行為で、根本的には権威欲という誰にでもある欲求からくるものと思われます。もちろん個人的にそのような状況に遭遇するとオエーとは思うものの、誰しも形を変えて発露することがある欲求ではないでしょうか。当然、性別を問わないものだと思うし、あまり非難できるものでもないな、というのが私の考えです。※個人的な考えですが、トロフィー系の人間関係はたいてい利害の一致であったりトロフィー側の過度な自己犠牲によって成り立つ関係性だと思っているので、関係として長続きはしないと思います。やりたいならやればいいけど後は知らないよという感じです。

パートナー候補への評価が男女でそもそも違うという点

女性が男性を選ぶときの評価基準の代表を「年収」とするなら数値化しやすいためかんたんにデータ化できますが、男性が女性を選ぶときの評価基準の代表例にあまり年収は出てこず、代わりに代表的なものとなると容姿ですが、容姿はデータ化できないものと思われます(そもそも容姿といっても顔の美しさなのか、体のスタイルなのか、体のスタイルといっても太っているか痩せているかなのか、おっぱいの大きさなのかなど、考えうるだけで無数の評価項目が発生し、それぞれの重要度と評価が個人に依存するため)
女性側の年収が上がれば上がるほど結婚相手への希望年収が上がっていくというのは、自身の年収が上がればその分パートナーに対する期待・要望も上に上がっていくという現象の一端であり、それが女性にだけ起きているとは限らないだろうな、というのが私の推測です。

自立した女性という人物像を実現するには女性がトップに"立ちつづけることのできる"社会の基盤づくりが先

女性がトップに立てないという「ガラスの壁」現象は何も日本だけで起きていることではなく、全世界で起きている事実です。自立した女性を作り出すなら、まず相応の能力ある女性がトップに立てること、そして出産や育児を経ても変わらずトップに留まれること、どちらも備えた社会的基盤が必要です。それには市議会に子供連れてくるなとかベビーカーで電車に乗るなみたいなことを言うジジイや3歳まではお母さんと一緒に…と言い出すババアを全員黙らせるところからスタートです。
そういう人がコミュニティにいる限り、出産・育児とともに女性が職場にとどまることは難しく、職場にとどまることが難しければ結婚相手に高収入の男性を選ぶことが結婚後の生活安定に直結するため、"高望み"は改善されません。

親世代より上が新しい女性像に抵抗する

奥ゆかしさ、男性を立てる、3歩下がって歩く、などはもう古臭い女性像ですが、まだ50代以降の多くの人には残っている価値観です。なぜならつい2-30年前までその女性像が"良い女性"とされていたからです。家庭に入り、専業主婦で、夫を立てることができる女性=よい女性という価値観をいきなり捨てろというのも難しいことはわかります。しかし、その価値観のまま、そこに「自立!意思を通す!共働き!」という女性が現れたらどうでしょう。あまりよくは思わないでしょうね。そういった親世代・親より上の世代の圧力やイヤミを跳ね除けて"自立した女性"として生きていくのは大変なことです。

いい結婚がしたいという気持ちを捨ててどうなるのか?

そもそも、「結婚していままでより良い暮らしをしたい」というのは結婚を検討する男女どちらにも、誰にでもある気持ちだと思いますので、その部分を否定してしまうと「じゃ、独身でいいや」という諦めに落ち着いてしまう可能性があります。("結婚しない"という意思やライフスタイルを否定するわけではありません。しないという選択は尊重されるべきですが、それが諦めなどのマイナスな意思決定、ミグタウ的選択でないほうがよいという意味です)
よいパートナーを得てよい生活をしたいと思うこと自体は生き物としても社会的動物としても普通の欲求であり、それなしに社会全体の発展が望めるかと言われるとまず無理でしょう。個として考えても、実現不可能な理想は確かに悪ですが、理想がさっぱりないというのも人生としてつまらなさすぎます。


結局、男性に限らず、男女共に20-30代にとってつらい時代が到来してしまった、というのが私の結論です。親世代でパッケージ化されていた「男は妻を養い、妻に子供を育ててもらい、マイホームを買い、更に仕事に邁進する」、「女性は、就職したとしても腰掛けで、いい男性と恋して、結婚して、家庭に入り、夫の言うことを聞き、子育てと家事をする」という、まあ頑張ればたいてい誰もがそう難しくなく実現できた『幸せな生活』セットが、バブル崩壊とともに万人向けでなくなり、"そもそもその幸せな生活とされてきた生き方はほんとうに幸せだったのか?"という大衆からの信仰消失が起こり、『幸せな生活』なくして幸せであると言い出す人、『幸せな生活』であっても不幸せである人・あった人、などが登場してきました。
『幸せな生活』としてこれさえやっておけば、周りの誰もが認めてくれるというような生き方は無くなり、その生活を望んだとしても、たどり着くことも維持することも過去のようにイージーでなくなってしまったにもかかわらず、それを実感しない親世代・親以上の世代からは「幸せな生活を選ばないお前はおかしい」と迫ってくるわけです。

そういった流れの中で家庭をつくりたいと思ったとき、一番重要なのは、男女ともにこれまでの『幸せな生活』に必要とされていたパートナーの要件を捨てて、あなたが、オンリーワンのひとりの人として、お互いを尊重でき、価値観のすり合わせができる人とともに助け合って暮らしていくことなのではないかと思います。
ここまでネガティブに書いてきましたが、ポジティブに表現すればオーダーメイドの人生の時代が来たということです。手本のない苦しさや悩みはあるかもしれませんが、それは悪いことだらけでもないと思います。

 

あと時代の変化についていけなくなった老害世代はみんな墓に入るといいと思います。(強烈な〆)